三浦 瑠麗(みうら るり、英語:Lully Miura 、1980年10月3日 - )は、日本の国際政治学者。株式会社山猫総合研究所(個人事務所)代表。 神奈川県茅ヶ崎市出身 で、幼少期に神奈川県平塚市へ転居して平塚市立金旭中学校を卒業、1999年(平成11年)3月に神奈川県立湘南高等学校を卒業して、東京大学理科一類に入学
88キロバイト (13,685 語) - 2021年2月7日 (日) 01:48



(出典 www.sanspo.com)


自然の摂理
三浦瑠麗「各国のどんな政策でもコロナ被害を大きく左右できない、被害の度合いは地域差、人口密度、平均寿命が関係」 ❓❗

1 NEO ★ :2021/02/07(日) 10:07:19.43

・近代合理主義を信じる「リベラルの限界」

新型コロナウイルスについて考えるとき、大前提として、我々はときに人類にはいかんともしがたい自然の摂理による災いに巻き込まれるのだという
認識を持たなければいけません。2020年は全人類がその自覚を持つことを迫られる年になるはずでした。
しかし、多くの人はまだその認識には到達していなさそうです。おそらく2021年から徐々にそうした言説が先進国から出てくるのではないかと思っています。

世界各国がロックダウンや強度の自粛を経験したため、経済的、社会的影響は少なくとも3~5年は続くでしょう。
新型コロナウイルスが未曾有の災厄というよりも、ウイルスに対する各国の反応が非常に例外的なものだったということが言えると思います。

各国のウイルスへの対処を見ていると、人類の能力の有限性に無自覚な人があまりに多いことに驚きます。

これまで欧州や米国のリベラルは気候変動問題などへの取り組みを通じて、人類の限界を学んできました。
科学技術を発展させることはできるかもしれないが、人間の能力には限界があるということ。
地球を治癒不可能なまでに痛めつけてしまえば持続可能な開発や成長ができないということを学んだのが、90年代以降のリベラルであったはずです。

それは、物事を自分に見える狭い範囲で「合理的」に捉えようとする態度の限界に気づく作業でもありました。

しかし、突如として「ウイルスは防げるはずだ」「被害をゼロに近づけることができるはずだ」という過剰な合理性信奉に世界中が囚われてしまいました。
人類はまだ近代合理主義の幻想から抜け出すことができていないのです。

ここで言う幻想とは、社会や経済、家庭、人々の健康など様々な要素のつながりと相互作用を無視して、
好きなように社会をデザインできる、という考え方を指しています。

新型コロナウイルスによる国別の人口100万人当たりの死者数を見てください。
一年単位で見れば、どのような政策をとったとしても、被害の度合いはほぼ地域差と、人口密度、そして平均寿命で説明できます。

米国とメキシコとチリとブラジル、アルゼンチンの政策上の違いはあるはずなのに、人口100万人当たりの死者数は似通っているし、
日本と韓国、香港の政策は違うのに、人口100万人当たり死者数はさほど変わりません。アフリカは高齢者が少ないので死者が少ない。

つまり、ウイルスをノーガードで受け止める国は現実的には存在しないのと同様、どんな政策をとったとしても、
それ以外の条件によって決まる被害を大きく左右できるわけではないということです。

しかも、日本と韓国との違いから明らかになように、どんなに新型コロナウイルスの死者を防いでも、
総体としての死者数をかえって増やしてしまえば意味がない。

ヨーロッパ諸国では、リベラル陣営にいるはずの人が次々に極端な私権制限に賛成しました。
それも「致し方ない」というよりも積極的に政府の介入を求めたのです。

「致し方ない」というのは、ある意味保守主義的なバランスをとる考え方です。リベラルが保守化したならわかりますが、
そうではなくて積極的にオーバーリアクションを求めた。これは私が知っていたヨーロッパの自由主義のあり方ではありません。

https://news.livedoor.com/article/detail/19635307/


【三浦瑠麗「各国のコロナ被害は、被害の度合いは地域差、人口密度、平均寿命が関係」?!】の続きを読む